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広島地方裁判所呉支部 昭和28年(ワ)116号 判決

原告 佐野健二

被告 国家公務員共済組合連合会

主文

一、第一次請求中雇傭契約存在確認の請求はこれを棄却する。

二、第一次請求中賃金の請求につき、被告は原告に対し別紙目録記載の金員を支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は、原告において金四万円の担保を供するときは第二項に限り仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、

第一次請求の趣旨として、

一、原告と被告の前身呉海軍共済病院との間に昭和二年一一月締結され、昭和二五年一二月一二日右病院から被告が承継した原告が医務助手(細菌検査室主任)として呉共済病院に勤務することを目的とする雇傭契約の存在することを確認する。

二、被告は原告に対し、別紙目録記載の金員を支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

第二次請求の趣旨として、

一、被告は原告に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和二九年八月一四日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに金員請求の部分につき仮執行の宣言を求める。

第一次請求の原因として、

一、原告は、昭和二年一一月一二日呉海軍共済病院に雇傭され、同病院が昭和二〇年一〇月二二日財団法人共済協会呉共済病院となり、更に昭和二五年一二月一二日特殊法人非現業共済組合連合会に施設その他の権利義務が承継され、同連合会の経営管理する呉共済病院となり、同連合会が、その後国家公務員共済組合連合会と名称を変更した後も引続き勤務し、細菌技術者として専ら細菌検査室において、結核患者等の病菌の検診業務に従事して来たものであるところ、原告は右業務により昭和二四年六月肺浸潤に罹り、昭和二五年五月二六日以降原告の勤務する呉共済病院に入院加療した結果、病状が軽快し、昭和二六年一〇月二七日呉共済病院の衛生管理者である内科医長訴外森加博は、原告に対し従前の職務を執るに堪えるものと診断して退院を命じたので、原告は同日退院し、右訴外森加内科医長の指示に従つて同年一一月一日より復職出勤し、同月三〇日まで一月間勤務した。しかるに呉共済病院長訴外笠潤一郎は、右事実を無視して、同年一二月一日より何等正当な理由がなく、しかも原告にいかなる理由であるかを示すこともなく原告に自宅休養を強いてその出勤を拒んだ。そのため原告は欠勤を余儀なくされたが、それ以来毎月二回呉共済病院医師の需診に応じ、その結果は身体状態も執務に差支えない程度のものであり、昭和二七年一〇月までの間に行つた数回の検痰の結果によるも亦結核菌は陰性であり、訴外森加内科医長からもその旨申し向けられたので、同人を通じしばしば訴外笠病院長に出勤許可を懇請したのに、同院長は口実を設けてこれに応ぜず、昭和二七年一〇月改まつて原告に受診を命じた。その診断の結果原告の喀痰検査の結果は陰性で、出勤可能な健康状態であつたのにかかわらず、同院長は訴外森加内科医長をして、原告の妻ヨリに対し原告の喀痰検査の結果が結核菌多数存在し陽性である旨虚偽の通告を行なわせて、原告の出勤を最終的に拒み、原告に秘して、呉共済病院従業員の労働組合に原告を疾病による欠勤二年以上に及ぶとの理由で解雇することについて意見を徴し、昭和二八年一月二六日訴外笠病院長は呉共済病院事務長訴外辻一男を通じて原告に対し、口頭で原告が業務外の疾病で欠勤二年以上に及ぶので被告の就業規則第一〇条第一号に規定する「業務外の疾病により一年以上欠勤したとき」に該当するから同月三一日付をもつて解雇する旨言渡し同月三一日原告を右理由で解雇するにいたつた。

二、しかし右解雇は次の理由で無効である。

(一)  原告は、前記一のように昭和二年以来細菌技術者として専ら細菌検査室において、結核患者の病菌の検診業務に従事していたものであり、右業務は結核に感染する危険の多いものであつて、原告の肺浸潤の発病は右の業務にもとずくものであることは明白であるから、原告の疾病は労働基準法施行規則第三五条第三二号或は同条第三八号に該当するものである。従つて原告の欠勤は右就業規則第一〇条第一号に当らない。

(二)  仮りに原告の疾病が業務外のものであつたとしても、前記一のとおり原告は昭和二六年一〇月二七日呉共済病院から退院したときから出勤可能な健康状態であり、しかも出勤の意思を有していたのに、訴外笠病院長が口実を設けて原告の出勤を妨げた結果、原告はやむを得ず欠勤したものであるから、右欠勤は解雇事由たる欠勤に当らない。

(三)  仮りに業務外の疾病に因る欠勤に当るとしても、原告は前記一のように昭和二六年一一月一日から同月三〇日まで勤務したので、被告が原告の解雇を決定した昭和二七年一〇月には未だ欠勤一年を超えていないから、解雇事由たる一年以上の欠勤に当らない。

(四)  仮りに原告の欠勤が就業規則第一〇条第一号に当るとしても、同規則第一〇条には「左の各号の一に該当するときは、労働基準法第二〇条により行政官庁の認定を得て解雇する」と規定しているのに、原告の解雇は行政官庁の認定を得ないでなされたものであるから、明らかに右就業規則に違反する無効の解雇である。

(五)  更に前記一のように被告が原告に対して解雇の意思表示をしたのは昭和二八年一月二六日で、解雇をしたのは昭和二八年一月三一日であるから、労働基準法第二〇条に規定する三〇日前の解雇予告として不適法であり、又原告の給料は月給制であるから、同条の規定により解雇予告手当として一月分の給料を支払うべきにもかかわらずその支払をせず原告を解雇したものであるから右の解雇は無効である。

しかるに被告は右解雇が有効で、既に原、被告間には雇傭契約は存在しないと争つている。

三、原告は、昭和二六年一二月一日以降出勤し得る健康状態にあり、しかも原告が出勤を許されたい旨を訴外笠病院長に懇請したにもかかわらず、同病院長が正当の事由がないのに出勤を拒んだものである。従つて原告の欠勤は被告の責に帰すべき事由によつて生じたものであるから、原告は被告に対し、

(一)  昭和二六年一二月分として、本俸月額金一万五〇〇円と地域手当本俸月額の一割五分による金額及び家族手当金八〇〇円の合計額から、原告が先に被告から見舞金として受領した金四、二〇〇円を控除した金八、六七五円。

(二)  昭和二七年一月分より昭和二八年一月分までとして、毎月本俸月額金一万一、八〇〇円と、前同地域手当及び家族手当を合計した額から前同見舞金四、二〇〇円を控除した額である金一万一七〇円宛合計金一三万二、二一〇円。

(三)  前二項の各月分の金員に対し、それぞれ支払期である毎月末日の翌日である翌月一日から完済にいたるまで年五分の割合による金員

の各支払義務がある。

四、仮りに被告において原告の出勤を不当に阻止した事実が認められないとしても、呉共済病院においては、従業員が業務上の疾病にかかつた場合における療養休業中の補償は、賃金の全額を支給するのが従来の慣例である。ところで原告の疾病は前記一のように業務上の疾病であるから、被告は原告に対し賃金全額を支給すべきにもかかわらず、被告は原告に対し昭和二六年一二月一日以降昭和二八年一月末日迄の期間毎月金四、二〇〇円の見舞金を支給したに過ぎない。従つて原告は被告に対し、前記三の(一)、(二)及び(三)記載の金員を支払うべき義務がある。

五、よつて原告は被告に対し、

(一)  原告と被告の前身呉海軍共済病院との間に昭和二年一一月締結され、昭和二五年一二月一二日右病院から被告が承継した、原告が医務助手(細菌検査室主任)として呉共済病院に勤務することを目的とする雇傭契約の存在することを確認する。

(二)  別紙目録記載の金員を支払え。

との判決ならびに第二項につき仮執行の宣言を求める。

第二次請求の原因として、

一、仮りに原告に対する被告の解雇が有効であるとすれば、被告は、昭和二八年五月四日呉共済病院長笠潤一郎名義の書面をもつて、被告に対し、解雇に対する特別慰労金として金一〇万円の贈与を約した。

二、よつて原告は被告に対し右金一〇万円及びこれに対する昭和二九年八月一三日附請求の趣旨ならびに原因の追加変更申立書の陳述により原告が右贈与の履行を請求した日の翌日である昭和二九年八月一四日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払えとの判決ならびに仮執行の宣言を求める。

と述べ、

第一次請求についての被告の抗弁に対し

一、被告主張の日に金四万九、一八八円を受領した事実は認めるが、原告は解雇を承認して受領したものではない。

二、被告の停年退職の抗弁事実は認める。

第二次請求についての被告の抗弁に対し

一、要素の錯誤の抗弁事実は否認する。

二、条件付贈与契約との抗弁事実は否認する。

と述べた。

被告訴訟代理人は、原告の第一次請求及び第二次請求はいずれも棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、

第一次請求についての答弁として

一、請求原因第一項につき、

原告が昭和二年一一月より原告主張の病院(その後の経営主体の変遷、名称の変更は原告主張のとおり。)に雇傭され、原告主張の業務に従事していた事実、原告が昭和二四年六月肺浸潤にかかり、原告主張の病院に入院加療した事実、原告を昭和二八年一月三一日解雇した事実、被告の就業規則第一〇条第一号の規定内容が原告主張のとおりである事実は認める。その余の事実は否認する。被告が原告を解雇したのは、就業規則第一〇条第一号の理由ではなく、被告の人事規程第一〇条第二号所定の「身体若しくは精神の衰弱により職務を執るに堪えないとき」に当るものとして解雇したものである。

二、(一) 請求原因第二項の(一)につき、

原告の疾病は、業務に因るものである事実は否認する。その余の事実は認める、およそ業務上の疾病とは業務に基因することが明らかな疾病で、労働基準法施行規則第三五条に列挙されたものに限定されていて、肺浸潤の如きは右法条の適用を受ける疾病ではない。ところで原告は、財団法人共済協会呉共済病院が経営していた当時である昭和二四年六月既に両上肺浸潤(業務外による。)、昭和二五年一月一〇日にも肺浸潤(業務外による。)と各診断され、同年五月二五日に入院した。その後昭和二五年一二月一二日被告が財団法人共済協会から呉共済病院の移管を受け、その際原告は右共済協会から所定の退職金の支給を受けた。原告は、昭和二六年一一月二日退院し、その後も通院加療につとめたが治癒せず、昭和二七年一〇月衛生管理者たる訴外森加内科医長の診察の結果、原告は結核菌陽性開放性結核で出勤不能の状態であり、今後相当期間の治療を必要とすることが明白となつたので、訴外笠病院長と訴外森加内科医長と合議の上、原告は人事規定第一〇条第二号に当るものと認定され、且つ右事由による解雇の場合には労働協約上呉共済病院従業員労働組合と協議する必要はなかつたのであるが、被告は特に右労働組合の意見をも徴し、同年一〇月二六日同組合の承認を得た上解職したものである。なお被告の人事規程は、呉共済病院従業員労働組合との労働協約に基いて制定されたものであるから、被告の就業規則とは独立に人事規程のみに基いて解雇し得るものである。仮りに原告の疾病が業務上のものであつたとしても、原告は前述のように既に旧経営主体たる財団法人共済協会呉共済病院時代に罹病していたものであり、原告は右経営主体から被告に移る際、退職金を受領して一応退職し、新規に被告に採用されたものであり、しかも被告は旧経営主の人格を承継していないから、旧経営主当時に罹病した原告の肺浸潤をもつて、被告に対し業務上の疾病であると主張することは許されない。

(二) 請求原因第二項の(二)につき、

原告の主張事実はすべて否認する。

被告は原告に対し、原告が呉共済病院に入院以来、衛生管理者である訴外森加内科医長を通じて再三検査の対象たる喀痰の提出を求めたのに応せず、昭和二七年一〇月始めて原告が訴外森加内科医長に喀痰を提出したので、同人はこれが検査を訴外古庵博久医師に依頼した。同医師はこれを検査した結果、結核菌陽性ガフキー氏表三号と判定したものであつて、原告の解雇当時の病状は、原告主張のように治癒の状態ではなかつた。従つて原告は病毒伝ぱのおそれがある結核患者であつたから、病院長若は衛生管理者は、労働基準法第五一条第二項、労働安全衛生規則第四七条第二号に照し、原告に対し出勤を命じたり或はその就業を許容することはできなかつたものであり、訴外笠病院長及び訴外森加内科医長はいずれも口実を設けて原告の出勤を拒んだものではない。

(三) 請求原因第二項の(三)につき、

原告主張の事実は否認する。

原告が退院したのは、昭和二六年一一月二日である。原告が同月中原告の勤務場所に数回来ていたことは認めるが、正規の就業と目すべきものではない。

(四) 請求原因第二項の(四)につき、

行政官庁の認定を得ないで原告を解雇した事実は認める。

被告が原告を解雇したのは、就業規則第一〇条第一号によつたものではなく、人事規程第一〇条第二号によつたものである。従つて行政官庁の認定を要しないものである。

(五) 請求原因第二項の(五)につき、

昭和二八年一月三一日被告が原告を解雇した事実、予告手当の額が原告の一月分の給料と同額である事実、予告手当を支払わなかつた事実は認めるが、その余の事実は否認する。昭和二七年一〇月二七日被告は訴外笠病院長を通じ、呉共済病院長室において、直接原告に対し、解雇の予告をなした。

三、請求原因第三項につき、

昭和二六年一二月分より、昭和二八年一月分までの給料を原告に支給していない事実、右期間中の原告の給料額が原告主張の額である事実は認めるが、その余の事実は否認する。

四、請求原因第四項につき、

原告の疾病が業務上のものである事実は否認する。その余の事実は認める。

第二次請求についての答弁として

一、請求原因事実はすべて認める。

と述べ、

第一次請求についての抗弁として

一、原告は、昭和二八年二月一九日本件退職に伴う見舞金一万六、四二八円及び退職手当三万二、七六〇円合計金四万九、一八八円を異議なく受領し、もつて昭和二八年一月三一日の解雇を承認したものである。

二、仮りにそうでないとしても、被告と被告の旧令部共済病院従業員組合連合会との労働協約中人事及び勤務に関する協定第八条及び同条の覚書によれば、「昭和二五年一二月一二日以前旧令部所属共済病院在職者については満五九才をもつて停年とする。」と規定されていて、原告は明治三三年六月二八日生れで右規定の適用を受けるものであるから、原告は、昭和三四年六月二七日停年により退職したものである。

第二次請求についての抗弁として

一、被告が原告に金一〇万円の贈与を約したのは、原告が円満に退職し、解雇の効力等について争う意思のないことを要素としてなされたものである。ところが原告は解雇について不満を抱いて当初より解雇の効力を争う意思があつたので、かかることが判つておれば被告は贈与契約をしなかつたものである。従つて右贈与契約は要素の錯誤により無効のものである。

二、仮りに要素の錯誤でないとしても、右金一〇万円の支給は、(一)原告が被告から解雇されたことをそのまま容認し、円満退職を停止条件とするか若しくは、(二)原告が解雇を容認せず、訴訟その他の方法でこれを争うことを解除条件とするかのいずれかであるから、若し(一)であれば条件が成就せず、(二)であれば本訴提起により条件成就したものであるから、その効力は生じないか消滅したものである。

と述べた。

(証拠省略)

理由

第一、第一次請求中雇傭契約存在確認の請求について

一、原告が昭和二年一一月より原告主張の病院(経営主体の変遷、名称の変更は原告主張のとおり。)に雇傭され原告主張の業務に従事していたこと、原告が昭和二四年六月肺浸潤にかかりその後原告主張の病院に入院して加療したこと、原告が昭和二六年一二月一日より昭和二八年一月三一日の間欠勤したこと、被告が昭和二八年一月三一日原告を解雇したことは当事者間に争いがない。

二、被告は昭和二八年一月三一日原告を解雇したのは、原告が肺浸潤のため職務を執るに堪えないから、人事規程第一〇条第二号に該当するものと認めたためであると主張するが、これを認めるに足る確な証拠はなく、かえつて成立に争いない乙第五号証の記載内容および同号証によつて認められる原告の解雇につき労働組合に協議した事実(被告主張の解雇事由では不要である。)によれば、原告を解雇したのは、原告を職務外の疾病である肺浸潤により一年以上欠勤したものとし、右は被告の就業規則第一〇条第一号の「業務外の疾病により一年以上欠勤したとき」に該当するものとしてなしたものであると認めるのが相当である(仮りに被告主張の事実にもとずいたものとしても、後記認定のように、原告の健康状態が、当時被告主張の人事規定第一〇条第二号の「身体若しくは精神の衰弱により職務を執るに堪えないとき」に該当するものであつたとは到底認め難い。)。

三、先ず原告の肺浸潤の疾病が業務外のものであるかどうかにつき判断する。

被告の就業規則第一〇条第一号に規定する「業務外の疾病」とは、労働基準法に規定する業務上の疾病に当らないものをさすものと解するのを相当とするところ、労働基準法第七五条にいう業務上の疾病は、同法施行規則第三五条に列挙されており、原告の業務と肺浸潤は、同条第一号から第三六号までのいずれにも該当しないから(同条第三七号の労働大臣の指定する疾病はない。)右肺浸潤が同条第三八号の「その他の業務に起因することの明らかな疾病」に当るかどうかが問題となる。原告は呉海軍共済病院、呉共済病院等において、昭和二年以来細菌検査室の主任として結核菌等の検査に従事していたものであるから、右事実によれば、原告の肺浸潤が業務に起因するものではないかとの疑いが濃い。しかし成立に争いない乙第一一号証、証人森加博の証言、原告本人尋問の結果を綜合すれば、結核菌はその取扱を慎重にすれば十分に感染を予防し得ること、結核は業務外の生活においても感染の危険があるため業務による感染であるとの認定が一般的に困難であること、特に本件においては原告が右業務に従事してから長年肺結核に罹患しなかつたこと、原告の肺浸潤の発病が業務によるものと推認するに足る特段の事情がないこと等の事実が認められ、これらの事実を綜合すれば、原告の肺浸潤を「その業務に起因することの明らかな疾病」であると認めることは困難である。従つて、原告の疾病は業務外の疾病といわなければならない。

四、次に原告が、右業務外の疾病により一年以上欠勤したものかどうかにつき判断する。

(一)  証人森加博、同笠潤一郎、同坪島隆、同久保正義、同佐野ヨリの各証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告が昭和二六年一二月一日より昭和二八年一月三一日まで欠勤したのは、呉共済病院の笠病院長が昭和二六年一一月末頃訴外森加内科医長を通じ、原告に対し、身体を鍛錬する必要があるとして休職を命じ、出勤を許さなかつたためである事実が認められる。

(二)  成立に争いない甲第二号証、第三号証の一ないし六、第五号証の一ないし六および同号証の九ないし二五、第一四号証、証人古庵博久(第一、二回)、同三宅照夫(第一、二回)、同久保正義、同佐野ヨリ、同木村規矩志、同野村戊二、同中島加代、同木川スマ子、同上田ワカヨの各証言を綜合すると、原告は昭和二五年五月二六日肺浸潤のため呉共済病院に入院し、昭和二六年一〇月二七日退院したこと、退院前の原告の血沈が昭和二六年九月一一日には一時間六、二時間一八であり、同年一〇月二四日には一時間五、二時間一八であること、昭和二六年七月、八月には原告のレントゲン写真をとつていないのに同年九月八日、一〇月二四日とレントゲン写真をとつていること、退院直前の原告の一般状態は良好で主治医の久保医師が散歩を許可していたこと、原告の業務の内容は前記のとおり軽労働であること、原告は退院後昭和二六年一一月一日から同月三〇日まで(病欠二日を除き。)勤務していたこと、退院後右勤務をし、その後他の軽労働をしたが原告の健康状態が変らなかつたことが認められ、これらの事実と後記(三)認定の昭和二六年一二月以降の原告の健康状態とを併せ考えると、原告が退院した昭和二六年一〇月二七日当時の原告の健康状態は、出勤に堪え得る程度のものであつたと認めるのが相当である。右認定に反する乙第二、第三、第六号証、第七号証の一、二、甲第三号証の三の一部、甲第五号証の七、八、証人森加博、同笠潤一郎の各証言は、右認定の事実にてらしたやすく信用することはできず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  成立に争いない甲第四号証の一、二、証人佐野ヨリの証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、昭和二七年四月一〇日、同月一一日、同年九月二六日に行つた原告の検痰の結果はいずれも結核菌陰性であつたこと、昭和二七年一月以降同年九月までの数回の検診の結果はいずれも経過良好であつたこと、昭和二六年一二月以降軽労働をなしても原告の健康状態は退院時より悪化したと認めるに足る特段の事実がないこと、原告が解雇されてから肺浸潤の再発がなく、回虫卵の検査等の業務に従事していること等の事実が認められ、これらの事実と前記認定の退院当時の原告の健康状態を綜合すれば、原告がその出勤を拒否された昭和二六年一二月一日から、原告が解雇された昭和二八年一月三一日までの原告の健康状態は、出勤に堪え得る程度のものであつたと認めるのが相当である。

成立に争いない乙第一号証(医師森加博作成の診断書)には、昭和二七年一〇月二日当時の原告の健康状態について、「治療により漸次軽快しているも現在なおレントゲンにて相当の所見があり、喀痰検査において結核菌陽性開放性結核にて現在出勤不可能、今後相当の期間治療の必要を認む。」旨の記載があるが、証人森加博、同古庵博久(第一、二回)、同久保正義の証言によれば、呉共済病院の内科医長森加博は、昭和二七年一〇月二日同病院の医師古庵博久に原告の検痰を依頼したこと、古庵医師は原告の検痰をしその結果をガフキー二と森加内科医長に報告したこと、しかるに森加医師は原告の検痰の結果をガフキー四としてこれを資料とし乙第一号証の診断書を作成したこと、右古庵医師が検痰した結果は実際はガフキー一であつたこと、しかも右古庵医師が検痰した検体は原告のものであつたかどうかについて多大の疑のあること、診断当時森加内科医長は原告が呉共済病院に出勤することを希望していなかつたこと等が認められるから、これらの事実に徴するときは、右乙第一号証の記載は正確を欠くものとして信用することはできないし、前記認定に反する乙第二号証、甲第五号証の七、八、証人森加博、同笠潤一郎の各証言は、当裁判所これを採用しない。そして他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

(四)  原告が退院した昭和二六年一〇月二七日当時及び原告が出勤を拒否された昭和二六年一二月一日より原告が解雇された昭和二八年一月三一日までの原告の健康状態が前記(二)(三)認定のとおりとすれば、笠病院長が原告の出勤を許さなかつたのは、原告の健康状態が未だ出勤に堪え得ないものであることを主たる理由とするものであつたとは到底認め難く、被告の原告に対する出勤許否は正当の事由を欠くものというのほかない。仮りに笠病院長が、前記の不正確な乙第一号証の診断書を信じてこれを理由として原告の出勤を拒んだものとしても、これをもつてその措置を正当化することはできない。してみれば、原告の右欠勤はその疾病によるものとは認め難く、かえつて被告の責に帰すべき事由にもとずくものと認めざるを得ない。従つて原告は業務外の疾病により欠勤したものとはいえないから、業務外の疾病により一年以上欠勤したことを理由としてなされた原告に対する右解雇は、無効といわねばならない。

五、そこで原告は退職金等を異議なく受領して解雇を承認したとの被告の抗弁につき判断する。

昭和二八年二月一九日原告が被告から金四万九、一八八円を受領したことは当事者間に争いがなく、証人笠潤一郎の証言によつて成立を認める乙第一二号証の一によれば、右金員は見舞金一万六、四二八円、退職手当金三万二、七六〇円の合計であつたことが認められるが、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、右金員は原告が生活苦のため受領したものであることが認められるから、この事実から直ちに原告が解雇に同意したものと認定することはできず、このことは、当事者間に争いない昭和二八年五月四日被告が原告に贈与の申込をした金一〇万円は原告がこれを受領していない事実、記録上明らかである本訴の提起が昭和二八年七月二九日である事実および本件全証拠によつても原告が解雇されたことを認めたものと推認するに足る事実がないことに徴しても明らかである。

六、次に原告は昭和三四年六月二七日停年退職したとの被告の抗弁につき判断する。

原告が明治三三年六月二八日生れであること、原告の停年は満五九才であることは当事者間に争いがなく、右事実によれば、原告は昭和三四年六月二七日満五九才となり、停年退職したものと認めるのが相当である。従つて、原告と被告との間の雇傭関係は、昭和三四年六月二七日以降消滅するにいたつたから、原告の雇傭契約存在確認の請求は、結局理由がないことに帰する。

第二、第一次請求中賃金の請求について

原告が昭和二六年一二月一日から昭和二八年一月三一日まで被告の職員であつたこと、原告が同期間内欠勤したこと、被告は原告に対しその間の俸給を支給していないこと、右期間の原告の俸給額は別紙記載一及び二の金額であることは当事者間に争いがなく、右原告の欠勤が、呉共済病院の笠病院長の出勤拒否にもとずくものであり、右出勤拒否が被告の責に帰すべき事由にもとずくものであることは、前記認定のとおりであるから、被告は原告に対し、別紙記載の金員を支払うべき義務あるものといわねばならない。

第三、結論

よつて原告の被告に対する第一次請求中賃金の請求は正当であるからこれを認容し、雇傭契約存在確認の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大賀遼作 大北泉 菅原敏彦)

(別紙)

目録

一、昭和二六年一二月分金八、六七五円

二、昭和二七年一月分より昭和二八年一月分まで毎月金一万一七〇円の割合による金員合計金一三万二、二一〇円

三、前二項の各月分の金員に対し、翌月一日以降完済まで年五分の割合による金員

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